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2024/04/19 13:30 |
フィリピンパブ


以前、 勤めていた 会社時代 の 事だから   20年近く  前の話になる。  九州の支店に

配属された 僕は  若き 現場監督 見習い として 九州一円の 現場を  転々としていた。

そんな ある日、沖縄での仕事で 先に行っていた メンバー の 交代要員  として 僕に

沖縄出張 の 辞令が出た。 久々に飛行機に乗る事と 観光で考える沖縄のイメージで

心躍らせて現場に入った。しかし 仕事として何ヵ月も民宿に滞在する生活の 沖縄は

とても ヘビーで、暑さ対策の為であろう 頻繁に 出される 揚げ物 や 炒め物の 数々。

一度、「今日はそうめんよ」。なんて言うから てっきり 涼しげな そうめんを 想像

していて 「 ソーメンチャンプル」 が 出た時は、正直 今すぐ 帰りたいと思った。

そして僕は 初めて髪を 茶髪に 染めた。 いつも考える事は 「沖縄を出たい ・ 会社を

辞めたい」 と いう事。 その気持ちは お盆休みで帰省が許された後も続いた。

そんな中、下請けの おじさんと たまたま 入った “ フィリピンパブ”。何かが 弾けた。

ほかの先輩や 下請けさん達が 日本人のスナックに 出入りする中、僕は もう一人の

とてもおとなしい おじさんと二人で “フィリピンダンサーズチーム” を結成。お互いに

財布の中身を 助け遭い よく店に行った。 店では 誰もが、「社長さん」 と呼ばれた。

こうして若き19歳の社長さんも 苦手な水割りと コーラを飲みながら カラオを 熱唱し、

よく 「いとしのエリー」の替え唄 (名前の所を女の子の名前にして)を 歌っていた。

帰りたい病は  いつしか消えて、帰りたく なくなっていた。 その後も 若き 社長さんは

昼間に 好きな女性達と デパートで買い物したり   彼女達から、昼間 あまり いい物を

食べてないと 聞けば スーパーで肉などを買い物し 差し入れ。 そして若き社長さんが

ビンボー  になった頃、 ようやく 現場が終わり 沖縄を 離れる事と なった。

その後、福岡に戻ってから 何度か 開店前の店に 電話をしたけど 福岡の 冬の寒さで

気持ちは  クールダウン。 その後 半年ほど 働き、2年で その会社を辞めた。 やはり

地元はいい。笠岡は最高。方言も食べ物も自分に合っている。刺激は少ないけど・・・

その後は 台湾の人とデートしたくらいかな。 大ハマリしない人生だから 借金は無い。

そして 平和に 今に 至っている。

    今でも マハルキタ (愛してる) タガログ語 の 単語は 覚えている。  







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2010/01/29 17:19 | Comments(0) | フィリピン ネタ

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